障がい者と新しい経済について

こんばんは。TAKUです。
とつぜんですが、私の父は “自称” 経済学者です。
とある大学でセンセーをしていました。

父の仕事がどんなものか理解しようと思ったこともなく、またあまり興味もありませんでした。
しかし最近、現役引退した父が街のコミュニティで経済学の講演をすると聞き、ちょこっと冷やかしに行きました。

内容は経済の仕組みを説明しつつ、現在の日本経済の状況を解説していくものでした。
時折、(いじわるな質問をして困らせてみよう的な)聴衆から専門用語を交えた小難しい質問が投げかけられる場面がありましたが、その時もうろたえることなく、的確に応答している様を見て不覚にもカッコイイなと思ってしまいました。

そんな親父にある時
「専門家の立場から障害者福祉と経済について論じてみそ」と水を向けてみたところ、以下の小論文が送られてきました。

「テーマ:障がい者と新しい経済」

これまでの経済は生産を中心とした枠組みで考えられてきた。それは産業革命以前に人々にとって不足する物資(主に食糧だったと思われるが)をいかに効率よく生産し、かつ公平に分配するかということがとても重要だったからである。

そのこと自体は今日でもあまり変わりはないけれど、最近のCOVID-19の一連の騒ぎで気づかされたのは、消費の重要性であった。
外出禁止になり人々の消費活動が著しく制限されるとたちまち多くの企業や個人事業主が立ち行かなくなるという現象が表出した。考えてみれば当たり前の話である。

現在では我が国のGDP(粗国民総生産)の実に60%は我々の個人消費から成り立っているのであるから、そこが止まってしまえば経済は成り立たなくなってしまうわけである。
すなわち、我々は古い生産を中心とした経済の考え方を転換することが求められているのである。
生産ももちろん重要な要素ではあるが、今日ではかなり自動化されており、人手をかってほど必要としなくなっている。消費こそが経済の中心に来るべきものと考えれば、商品だけではなく、サービスも含めた個人の消費は大きくなればなるほど良いことになる。

これまでの生産中心の考え方からすると、生産活動に就けない者は非生産的として社会のお荷物扱いされてきたのが実情である。
ところが、消費こそが重要という発想の転換をすれば、そうした障がい者は尚一層消費者として重要になってくる。

物の消費という面では弱者も健常者もあまり変わらないだろう。
しかし、サービスの購入の面で考えると、障がい者はそれだけ多くのサポートが必要とされるので、健常者のそれよりもずっと大きくなる。

例えば旅行を考えてみればよくわかる。
健常者は一人で旅をすることができるが、体の不自由な人は誰かサポートをしてくれる人が必要であるから、一人旅をできない人もいる。
となると同じ旅行をした場合には倍以上の支出がなされることになる。

そういうわけで、そうしたサポートを必要とする障がい者の消費行動はとても重要になってくる。これからの社会はそうした発想の下で社会の枠組みを考えていく必要があるのではないか。

堅っ苦しい文章だけど、なるほどそんな視点もあるんだと妙に納得しました。
当事者サイドでは気づかないことが、アウトサイドから俯瞰的・客観的に見ると別の視点が開け、一見関係性の薄いモノでも意外と”価値観の転換”に役立つようです。

消費行動による社会貢献、、、?
ん?
趣味にお金を使い過ぎちゃった親父の言い訳に聴こえなくもない、、、⁈

私も父も消費による社会貢献で貯金なし!
トホホ、、、血は争えないようです。

関連記事

  1. 電車のあの場所知らなかったのは自分だけ?

  2. ダイアログ・ダイバーシティミュージアム【対話の森】を体験してきました|静寂と暗闇の中で

  3. ピクトグラム|福祉に関わるシンボルマークをいくつ知っていますか。

  4. 緑のカフェで感じたバリアフリー|ニルカフェ

  5. 砧公園みんなのひろば見学会へ行ってきました

  6. アートパラ深川!すみだストリートジャズフェスティバル!|イベントハシゴの日曜日