アトリエ・グレープフルーツを知り、COMUGICOに掲載させて頂いたのはつい最近だ。
自宅の比較的近くで作品展示会が開催されるという。
私自身も絵を描くことが好きで、一時期は取り憑かれたように描きまくっていた。
我が家からバスに揺られること20分、そこから徒歩で5分くらい。最寄り駅の賑わいから少し離れた住宅街にギャラリーはあった。
ガラス張りの壁から中の様子がよく見える、開放感のあるギャラリーだ。
私はガラスの扉を押し開き、肌を刺す直射日光から逃れるように飛び込んだ。
いい意味でこじんまりしたスペースは採光もよく、とても見やすい。展示したい作品が多く前期・後期に分けて作品を入れ替えるという。
壁面の余白を無視してぎゅうぎゅうに展示しなかったのは芸術家としては当然なのだろうが、
素人で貧乏性の私だったらきっと上下にみっちり並べてまるで小学校の教室の後ろの壁のような有り様にしてしまったかもしれない。
適度に空けた間隔は見るものの意識を作品に集中させてくれる。
抽象的な作品や写実的な作品、個性的な絵画や立体造形をひと通り作品を鑑賞し、ご挨拶をした職員の方からアトリエ・グレープフルーツについて色々伺うことができた。
「子どもの頃から絵筆になじむことにより、成人してからも抵抗なく創作活動を続けることができるんです。」
「障害を持つ方々はともすれば自宅と学校・職場を往復するだけの生活サイクルになりがちなので、QOLをよりよくする為に生活環境にもう1か所自分の身を置く場所が必要なのです。」
なるほど。
「小さい頃からの生徒が大きくなっても絵を描きに来てくれるんですよ。」
そう言った時は撒いた種が結実したように嬉しそうであった。
作品を額装して人に観てもらうことが生徒の大きなモチベーションになっているという。
よくわかる。
昔、教科書の余白に描いた落書きをクラスメイトに褒めてもらったのをきっかけに絵を描きはじめた私は、ある日描いた絵を試しに額装してみようと画材店に行った。
店員さんからマット(額縁と作品の間にある余白)付きの額装を提案され、その仕上がりに驚いた。
雑然と山積みにしていた私の絵が、額に入れただけでちゃんとした「作品」になったのだ。
正直、クセになる快感だった。
その後ストックの絵を手当たり次第額装し、部屋中額縁だらけにした挙げ句、額装したいがために絵を描くという逆転現象がおきた程だ。
ギャラリーをもう一巡しながら思った。
余白は決して「余った白い部分」ではなく作品に必要な部分であり、一部なのだ。
仕事や生活を作品として考えた時、それをステキなものにするのはそれ以外の「余白」部分かもしれない。
アトリエ・グレープフルーツの作品展は私にそんなことを教えてくれた。
2022年7月23(土)から27(水)開催です。
ぜひ足を運んでください~