いつものように満員電車で通勤している時、乗り換えのターミナル駅でのこと。
人波に流されてしまい普段と違う階段を登ると、突き当たりの壁に見慣れないポスターが貼られていた。
特別養子縁組の啓蒙ポスターだ。
じっくり見たかったのだが遅刻ギリギリのため、後で見ようとサッと写真を撮り、再び人波に飲まれていった。
自宅に帰ってからふと思い出し、スマホで写真のポスターを見た。
車椅子に乗った男性と、寄り添う奥さんとおぼしき女性が描かれている。どちらも12頭身くらいのスタイルだ。男性の膝には男の子が無邪気な笑顔を見せている。
男性が車椅子に乗っているのは事故か病気が原因なのだろうか。
男の子はこの男女のもとへ養子に来たのだろうか。それともこれから養子に行くのだろうか。
このイラストから特別養子縁組のストーリーを考えるのはなかなか難しい。
イラストに違和感を感じたのは男女の人間離れしたスタイルだけではなく、意味深なイラストからストーリーが感じられないからだ。
「男性が身体が不自由で実子が望めないから男の子を特別養子縁組で迎えた。」
というストーリーの場合、まず養父に障がいがあった場合の特別養子縁組はかなり難しいということ。
個人的には養父母の障がいの有無や年齢が特別養子縁組のハードルになってはいけないと思うが、この場合はお母さんの負担はかなり高くなってしまう。
少しでもネガティブな要素があると行政機関を納得させるのは難しいのが現実だ。
「男性が障がいを負ってしまい、育児が難しいから男の子を養子に出す。」
というストーリーは現実には考えにくい。
父親だけでなく、お母さんも不治の病で余命が短く、近親者もいないのかも、、、。
イラストの笑顔がとたんに物悲しく見えてきた。
「自分だけを見てくれる安心感が子どもを支えます。」
「子どもを育てたいと願う人へ。特別養子縁組という家族のかたち」
「特定の大人の愛情に包まれて育つことにより自己肯定感が生まれる」
「守ってくれる人、帰る場所があることで安定した生活が送れる」
特別養子縁組のキャッチフレーズがたくさん書かれている。
この制度のおかげで我が家は娘を実子として迎えることができ、家族を形作ることができた。
愛情を注がれるべき子どもと本能とも言うべき育児を望む養親がいる。言わばウィンウィンの関係である両者を正式にマッチングするこの制度をもっと啓蒙すればいいのに。
私は娘が我が家に来た時の感動を思い出し、散々ポスターの揚げ足取りをした自分を反省した。
「特別養子縁組とは」ほかのフォントより濃いめの文字が右下に記されている。大事なことが書いてあるに違いない。
しっかり読もうと画面を二本指で拡大し驚いた。
そして、怒りと呆れと悲しさが混ぜこぜになった感情が湧き出し止まらなくなった。
肝心な部分に「業務承認/6月30日/鉄道営業部/営業課」とハンコが押されていて読めないのだ。
このハンコ一つで特別養子縁組を真剣に考え、制度の拡充に取り組む人達や、イラスト・キャッチコピーを考えた人、そして当事者達の気持ちを踏み躙っているのだ。
このハンコを押した人はきっと仕事にプライドや誇りなど持っていないに違いない。
その人はポスターの右下にハンコを押す作業をしているだけでプロが対価をもらってする仕事をしてはいない。
周りに余白がいくらでもあるではないか。
ほんの少しだけ配慮できなかったのだろうか。
K電鉄のS宿駅。世界で最大の乗降客数を誇るターミナル駅だ。(ギネス記録らしい)
毎日のように乗車している電車で少なからず愛着がある路線であるがガッカリしてしまった。
最近「怒り」という感情を忘れていたが、久しぶりに腹が立ってしまった。
そしてハンコ一つに怒りを感じる自分の小ささを改めて感じるのだった。
精進しなければ。
特別養子縁組制度とは、さまざまな事情により生みの親のもとでは暮らせないこどもを、自分のこどもとして迎え入れる制度です。「こどもを育てたい。その想いが、こどもの幸せにつながっていく。」こどもを育てたいと願う人へ 特別養子縁組制度。