COMUGICOを発足する前年2018年の年末に「子どもの親になること」というテーマのシンポジウムでパネラーを務めさせていただきました。
12月22日公開シンポジウム「子どもの親になること」
この度、このシンポジウムでお話しさせていただく機会をいただきありがとうございます。
まず最初に私達家族の家族構成を説明いたします。私は現在45歳、妻も同い年です。長女のりおは3歳です。あと7歳のフレンチブルドックのサクラで暮らしています。
麦のこと
私達夫婦は3年前に息子の麦を授かりました。
麦は妻のお腹にいる時にエコー検査でNTが大きく染色体異常の可能性があると判り、その後の羊水検査で21トリソミーと診断が出ました。
私達夫婦の場合は、染色体異常を告知された時、よく聞くような絶望感とかは一切無く、中絶の選択肢は全くありませんでした。
検査は育てていく準備を整えるためでした。
麦は頑張って生まれてくれました。
生まれてすぐに鎖肛の手術しました。ほかにも様々な合併症があり、医師からも覚悟するように言われました。 当初は1カ月目の月誕生日は迎えられないとも言われました。
妻は毎日一日23時間の面会可能時間のほとんどをベッドサイドで過ごしていました。
母体を心配するナースや心理士さんが休むように勧めても、ベッドサイドからテコでも動かない妻を見て母性の凄さをまざまざと感じました。
日に日にヤツレて行く母親を案じたのかもしれません。 麦は医師も驚くほど頑張ってくれましたが、3カ月で神様の所へ帰ってしまいました。
亡くなってしまった麦を自宅に連れて帰り、親子水入らずで数日すごしました。保冷剤と氷の中、愛しい息子と川の字で過ごした日々は幸せな時間でした。
麦がお腹の中にいる時から様々な媒体でダウン症の事、取り巻く環境について情報収集しました。
受け入れられない親達の苦悩。養護施設や乳児院における人員不足の状況。ネット掲示板での酷い書き込みや容姿に対しての侮辱、ネガティブな情報をたくさん目にしました。また、出生前診断で染色体異常を告知された夫婦の97パーセントが中絶するというデータに愕然としました。
望まれなかった子がこんなにいるなんて!
私達の待ち望んだ我が子はNICUで母親に抱かれることも口からミルクを飲むこと、泣くことすら許されず亡くなっていったのにです。
麦を亡くして抜け殻のようになった我々夫婦は、麦のために揃えた物や、病院への往復に利用したバスを見ることさえ辛く、幸せだった妊娠期間を過ごし、そこからドン底の闇への転落を経験した町から引っ越すことにしました。 抜け殻に残されたのは溢れる母性と父性、障害を持って生まれた子供が「望まれない子」として世の中に沢山いるという情報です。
天国へ旅立ってしまったわが子がいなければ知りえなかったこれらの事実は、わが子からのメッセージに思えてなりませんでした。
事故や虐待で小さな子供が亡くなるニュースを見ては涙を流し、小さな子供を連れた幸せそうな家族を見かけると目を逸らし、時には道を迂回することさえありました。 そんな夫婦がダウン症児を養子に迎えることを考えるのに時間はかかりませんでした。
特別養子縁組のこと
色々な団体、個人とコンタクトを取りました。私達はどうしてもダウン症の赤ちゃんを育てたかったのです。息子が残してくれた障害児に対する無条件の愛情みたいなものでしょうか。
そんな中、妻が「命をつなぐゆりかご」へ電話しました。 養子縁組は子供の為にあるもので養父母の為にではない事。子供の性別、年齢、肌や髪の色、人種、出生の理由等、いかなる選択の余地も養父母希望者にはない事。 沢山の養子縁組を希望する親がいる事。説明会に参加して、養子縁組の主旨を理解する事。面談によって不適と判断する場合がある事。自宅の環境を確認して不適と判断する場合がある事。もう2年3年待っている方々もいる事等を伺いました。
最後にダメ元でこちらの希望を伝えました。 「ダウン症の赤ちゃんを育てたいのです」
「親の希望で子供を選ぶことは出来ないんですよ」
「そうですよね・・・」
電話を切った後、2,3年か・・長いなぁ、しかも出生率の低さを考えると、ダウン症の子供を育てる事は難しいな、と思ったその時、妻の電話がなりました。命をつなぐゆりかごの代表からの折り返しでした。
直近の説明会に参加することを求められ、養子縁組を望む理由についての作文を書くように言われました。説明会ではダウン症の子を養子にしている先輩家族とも会えました。代表夫婦が埼玉からわざわざ私達の自宅に面談に来てくれ、あれよあれよという間に我が家にリオを迎えることになりました。
特別養子縁組の場合、申請してから1年間、実親としての適性を児童相談所と家庭裁判所が観察する期間があります。その間は実親に親権があり、実親の苗字と実親の付けた名前で公的機関や病院で呼ばれたり、書類の処理を行います。とてもステキな名前でしたが、この期間に実親の気が変わってりおを取り返しに来たらどうしようと当時の私達はとても不安でした。
当初は障害を理由に養子に出す実親に複雑な感情を持っていましたが、今は「りおを産んでくれてありがとうございます!」と心から感謝しています。
リオのこと
リオを迎えたのは麦をなくして3カ月後です。
リオが生後約4カ月の時です。リオは岡山で生まれ、NICU、乳児院から最初の養子縁組希望者の家、埼玉の代表の自宅と日本のあちこちを代表の奥様と旅していました。妻が「命をつなぐゆりかご」にコンタクトしたのは正にこのタイミングでした。
代表の自宅でリオと対面した時は、訳の分からない感情が溢れてきました。喜び、興奮、感謝、、、麦が生まれてくれた瞬間の感動と似ていました。親にしてもらった瞬間に溢れてきた、幸せにしたい!という強い感情です。
母性と父性のこと
私は麦が生まれた瞬間と、リオと対面した瞬間にこの父性と思われるエネルギーを感じました。
世の中の母親はこのエネルギーを妊娠中から感じているのでしょう。
そして生死をかけた出産という偉業を成し遂げるのでしょう。
でも、母性イコール妊娠、出産でないことも確かです。妊娠することができない女性でも、子供を愛し立派に育児している方が沢山います。
逆に出産しても子供を愛せなかった人もいるでしょう。
母性を一概にはくくれません。
世の男性は妊婦の苦労や出産の痛み苦しみを経験することなく、女性と子供の生死をかけた出産によって父親にしてもらえるのだと思います。
立会い出産を義務付ければ、父親の自覚が無い男性は激減すると思います。妻子に対してリスペクトがあればDVや虐待も減ると思います。
そもそも、どの男性も間違いなく母親という女性のお腹から生まれたのです。
女性に命掛けで産んでもらったのです。
男性はまず世の中の女性に感謝とリスペクトをするべきでしょう。
母性が自然発生的な本能に基づくものとすれば、父性は後天的な要素が強いものと思います。
育児のこと
私は子育てについて、経験の浅い未熟者です。
父親の役割は「給料を稼いでくること」と思っていました。
母親は日常の家事を行い家庭を運営していくものと思っていました。
一番身近な存在として自分の両親がいますが、私を含め4人の子を育てました。ベテランです。
とりあえず4人を育てた両親に子育てについて聞いてみた事があります。父親の答えは「次は上手くいきそうな気がする」でした。おいおい!
学校の教員である我が父さえこの有様です。
長男の私は正直問題児だったと思います。私の育児、教育でヘトヘトな両親を見ていたせいか、3人の妹達はとても優しい優等生になりました。
今はそれぞれ大分個性的な生活を送っていますが、私を含め皆、幸せに暮らしています。
上手くいかなかったと思っている子育ての結果です。
子育てに上手い下手など無いみたいです。
育児に成功も失敗もないと思います。
子供を何人東大に入れた!スポーツ選手はこうして育てた!子育て大成功!
なんてよく聞きますが、ちょっと首を傾げてしまいます。勉強ができたり、スポーツが上手な事が、すなわち親が上手に育てたという事や子供の幸せと直接的な因果関係にあるとは思えません。
我が父にいつ父性が目覚めたのか、いまだ目覚めてないのかはわかりません。立会い出産など無い時代です。私が生まれた瞬間は雀荘でマージャンの真っ最中だったみたいですし。
子育てに大事な事は惜しみなく愛情を注ぎ続けること、お互いに唯一無二の存在と感じ合う事に尽きると思います。 子育ての正解があるとすれば、子供に「私は愛され、必要とされている」と感じとってもらう事かなと思います。 また、子育ての正解がその子の幸せとイコールとするならば、幸せを感じとる力を養う手助けをしてあげることが、親にできる一つの大きな事と思っています。目の前の100円を見て「100円しかない」ではなく「100円もある」と感じる力です。
将来の事
私達の子供は障害があります。この子達の未来を考える時、やはりポジディブなことだけではありません。
集団生活の中でイジメや理不尽な迫害、差別を受けるのではないか。
障害児の親の最大の心配は将来の事、保護者の居なくなった後の事だと思います。
保護者が死んだ後はどうなるのか。
でも、障害の有る無しに関わらず、親が大体先に亡くなるのです。
では何が違うのか。考えてみました。
健常な人はマジョリティです。
一般社会という大きなネットワークの中で、自分の役割を果たしながら他の人と共存しているにすぎませんが、それが安心感となっていると思います。
よく考えれば、健常な人も一人ではほとんど何もできないといっていいと思います。テレビや自動車、パソコンを作ることはほとんどの健常者にもできないでしょう。いろいろな部品を造る人がいて、組み立てる人がいて初めてそれらの恩恵を受けることができるのです。
障がいのある人はマイノリティです。
出生の確率からいっても、染色体異常はマジョリティにはならないでしょう。
障害がある人にはやはり健常な人よりもサポートが必要です。
で、サポートする人にもサポートが必要です。
必要なのは健常な人と同様にネットワークではないでしょうか。一人ひとりの力が弱い分より大きなネットワークが必要と思います。
そのネットワークにしっかり繋がることで、一人一人の不安は薄らぐと思います。
ネットワークの形成に特段の能力は必要無いと思うのです。能力のある人をサポートすることでいいのだと思います。
最大のネットワークは一般社会です。ここにしっかりと繋がることが、大事なんだと思います。
多数派、少数派、これにとらわれているうちは偏見、差別はなくなりません。
マイノリティはとかく同じ同志で固まりがちです。社会の仕組みがその方が管理しやすいし、共生しやすいから当然です。
でもマイノリティで固まっていても、どこまで行ってもマイノリティです。
その他大勢と関わり合い混ざり合い繋がる事が必要だと思います。
繋がり方はそれぞれでよいと思います。
妻が日中娘の育児と格闘したり、SNSやブログでいろいろな人と繋がって情報交換をしたりしてる中、父親の私に何ができるのか?色々考えた結果、出勤前の食器洗いと床掃除とイヌの世話でした。
結局は出来ることを出来る人が出来る範囲ですればいいのだと思います。
私自身はかなり平均的な日本人と自負しています。身長も年収も中の下くらい。きっと大勢の中に入って埋もれてしまうでしょう。
きっとマイノリティの近親者も私と同じ、マジョリティ、その他大勢の一人でしょう。
ネットワークのコアになる才能ある人、意識の高い人達がいます。区議会議員になったダウン症児のママさん。私も微力ながら選挙のお手伝いさせていただきました。美しい歌声の歌手のダウン症児のママさん。いつも周りを元気にしてくれています。採算度外視でベビーマッサージを教えてくださる先生、ダンス教室やピアノ教室の先生。そしてバディウォーク等の啓蒙活動に積極的に参加する人達。周りを見回してみると、女性率が高い!母性強し!どうした日本男子!がんばれ父性!私も頑張ります!
教育の事
娘は只今、待機児童です。障害児枠が限られているなか、一時保育で預かっていただいていますが、正式に入園すべく見学に行ったある保育園では、3歳児クラスで他の子どもと同じように保育ができない、ダウン症児の保育経験もないので、預かることに自信がないと体よく断られてしまいました。
たしかに、合併症があったり、先天的に弱い部分があるのは事実です。一般的な子供たちよりケアが必要です。 要はめんどくさいのだと思います。
そのあと見学に行った別の保育園では、とても良いなと思うことがありました。
その園は一日の半分を縦割りで行なっていました。 ダウン症の発育はゆっくりなので、同じ3歳児でも、健常児と同じように遊んだりすることは難しいのです。リオの場合は1歳半くらいの子と同じくらいでしょうか。ヨチヨチ歩きで、言葉もまだです。
縦割り保育では年長の子と、年少の子が年齢のボーダーを超えて遊んでいました。
私が幼い頃に近所の原っぱや公園で経験したあの感じです。小さい子はお兄さんやお姉さんを追いかけ、年上の子は自分よりも小さい子の面倒を見ている。ちいさな社会がありました。
弱者を保護しながら、己れの成長の糧にしていく理想的な社会がありました。
後の半日は年齢毎のクラスで自分のポジションを確認し、研鑽するのだそうです。
年齢毎に画一的に管理した方が楽だと思い、先生達の負担は大変ですか?と聞きますと、子供同士で面倒見てくれるからそれ程でもないし、子供たちの自主性があって保育してる側が勉強させられることも多いとのことでした。
障害児をカテゴライズして枠を設けることは仕方ないことかもしれません。
私自身、我が娘が健常児の集団に混ざることに不安があります。支援学校や支援学校で専門のスキルを持った先生に指導を受ける方が安心とも思います。
でも、差別で両者を切り分けるのも、弱者保護として区分するのも、結果は同じです。
恥ずかしい話ですが、私自身麦やリオを授かるまではマイノリティに対して特段理解がある方ではありませんでした。身近に障害がある人がいなかったからです。ある意味、別世界だったのです。
同じ同士のコミュニティで固まりがちなマイノリティと、それを助長する社会。それを知らない悪意の無いマジョリティ。
まず、知ることが第一歩だと思います。
バディウォーク等での啓蒙活動はマイノリティ側からのアプローチとして大切な活動ですが、マジョリティ側からのアプローチも必要だと思うのです。
例えば、学校教育の一環として月に1、2回支援学校への見学等交わりの機会を持つことや、障害児を交えた縦割り教育を小中高でも実施すれば、マイノリティを知らない悪意のないマジョリティが減ると思います。
その他のこと
最近悲しくなるニュースがありました。中央省庁での障害者雇用の水増し事件です。自分達で決めたルールを無視して、障害者を排除した事件です。
障害者雇用の機会を奪ったことよりも、障害者を遠ざける姿勢が悲しかったのです。その根本は相模原のヤマユリ園事件の犯人と同じです。
ダウン症の息子をなくし、ダウン症の娘を養子に迎えた経験は、割とレアなケースと思い、今回お話しさせていただきました。あまり参考にならないかもしれませんが。
大学でお話しをさせて頂くにあたり、頑張ってアカデミックに喋ってみようと思いましたが、うまく伝わったでしょうか。親バカを晒してしまい失礼いたしました。
ご清聴ありがとうございました。