こんにちは。コムタクです。
3月21日は「世界ダウン症の日」となっている。
ダウン症候群の啓発を目的として、国連が定めた国際デーだ。
この日に向けて各地では様々なイベントが開催されている。
その中のイベント2021年のバディウォーク東京は「今こそ共に歩こう 誰一人取り残さない世界へ Buddy Walk Tokyo 2021 for all」としてNPO法人SUPLIFEさんが主催する。
今こそ共に歩こう 誰一人取り残さない世界へ
Buddy Walk Tokyo 2021 for all
バディウォーク東京は、2012年にNPO法人アクセプションズがスタートした、ダウン症への理解と受容、社会的な平等を促進するチャリティイベントです。
第9回目となる2021年3月から、私たちNPO法人SUPLIFEがバトンを受け取り、当イベントを主催し、開催をすることになりました。
これまで、私たちは一参加者団体としてバディウォークに携わっていました。
その時感じたことは、「バディウォークは、ダウン症にとどまらず、いろいろな個性が共に尊重し合える“共生社会”を促進するイベントだ」ということ。
私たちは、2012年から繋がってきた「おもい」を引き継ぎ、そして「共生社会」がスタンダードになる未来を願い、「今だからこそ出来るカタチ」でBuddy Walk Tokyo 2021 for allを開催いたします。
ダウン症とは人間を構成している22対の染色体のうち21番目が3つある先天的な染色体異常だ。
アップの対義語のダウンではなくダウン博士が発見したので”ダウン症”の名がついた。
およそ600人に1人の割合で生まれる割とポピュラーな染色体異常だ。
外見の特徴としては目がつり上がっていたり、鼻が低かったり見た目ですぐに判る場合が多い。
我が家の娘(5歳)もダウン症だ。
“世界ダウン症の日”が近づくとバディウォークやイベントが各地で催される。
最初はまだ肌寒いこの時期に何でわざわざ街を歩くイベントなんてやるんだろう。
特徴的な顔立のダウン症の老若男女が街を行進したり、会場でワイワイしている事に何の意味があるのか。
“何も知らない一般の人”に奇異の目で見られ、バッシングやヘイトの対象になるだけじゃないのか。と思っていた。
ダウン症の赤ちゃんを授かった親御さんの中には障害を持つ子どもを受容しきれていない人もたくさんいたし、その中には外出する時はフードを被せ、少しでも人の目に触れさせないようベビーカーの幌を深く閉じている人もいるのに。
ダウン症を全面に出してパレードする。
ダウン症を隠し、人目を避ける。
全く正反対の行動に私はどちらに同調すべきか悩んだ。
私の主体性の無さゆえなのだが、最初はどちらの気持ちも正直わからなかった。
結局「ブログで見ているダウン症のかわい子ちゃん達に会えるかも。」という少々不純な動機で参加することにしたのだった。
この数年間に娘を通じて色々な人と関わり、気づいたことがある。
私を始め大多数の人は興味・関心のないことについては率先して知ろうとは思わないだろうし、関わらずに生きている。
グルメに関心がない私はミシュランの星がどうとか、高級ワインにも興味がないし知ろうともしない。
“何も知らない一般の人”
ここだ。
障害のことを隠さざるを得ない風潮が日本には残念ながらまだある。その風潮を打破する手段として、”〇〇の日”の制定やバディウォーク等のイベントが必要なのだ。
“障害”を知ること、知ってもらうことが大事なんだ。
“何も知らない一般の人”の認知を促す手段は色々あるが、娯楽要素の強いモノが有効かもしれない。
アメリカの映画やTV番組はインクルージョン基準があり様々な人種、LGBT、身体・知的障害者が一定数出演することがなかば義務づけられていて、マイノリティが社会的認知を得る一助になっていると思う。
大好きな海外ドラマに「グリー」という学園ドラマがあった。
当初はいい歳のおっさんがアメリカのティーンエイジャーの学園ドラマを観るってどうなんだ。幼稚なドラマに違いない。
最初はそう思ったが、観てみたら実に面白かった。
メインストーリーは美男美女を軸に進んでいくのだが、脇にを堅める多種多様な登場人物がとても光っていた。
その中にチアリーダーのダウン症の女の子が出演している。
実にキュートで生き生きとしている彼女にすっかり心を奪われた。
脇役なので登場しない回もあるし、どちらかというと悪ガキとしての立ち位置であったが、彼女が出演する回はいつもより嬉しい気持ちになった。
鬼軍曹のような体育教師(女性)にもダウン症の姉妹がいて彼女は、その姉妹をすごく大切に思っているのだ。(高嶋ちさ子さんとかぶりますね。)
そのドラマでは”ダウン症=障がい者=かわいそう”という図式に当てはめず、非常にフラットにダウン症を持つ役者がダウン症のある役を演じている。
様々な差別やマイノリティにスポットを当てた作品も沢山あるが、そういった作品は元々興味がある人が観るので、その実あまり社会的インクルージョン(包括性)を促すことにはなっていないと思う。
マイノリティに特化していない普通の作品に一般社会と同じくらいの比率で”普通”にマイノリティが登場することが大切なのではないのだろうか。
美男美女ばかりで構成された映画やドラマは現実社会を映しているとはいえない。
著名人が障害を公表することにも意義があると思う。
知っているアーティストや芸能人が当事者であるとファンはもとより、多くの一般の人が擬似的近親者になり、無関係の状態から障害者を一段階身近に感じると思う。
誰もが知ってる有名人にも様々な”障害”を持つ方がいる。
黒柳徹子さんや、トム・クルーズは発達障害を公表しているし、私の大好きなジョーイ・ラモーンは先天的な染色体異常(マルファン症候群)で強迫性障害を持っていた。
また彼は生まれた時、シャム双生児だったという。
当時NIPT(お手軽にできる出生前診断。国の指針で全ての妊婦に周知することになったらしい)があったらジョーイはこの世に生を受けることができただろうか。
彼が存在しなければ、私の好きなラモーンズはおろか、音楽のジャンルがまるまる存在しなかっただろう。
医学の進歩が文化の多様性の阻害要因になってしまっていいのだろうか。
おっと、話が少々逸れてしまった。
とにかく今回のバディウォークにはfor Allがくっついている。
そう、今回はダウン症というカテゴリに縛られていないのだ。
for Allにはもちろん健常者も含まれる。
養護や支援、プライバシーなどの大義によって隔絶された一般社会とマイノリティ社会。
お互いを知るまたと無いチャンスだと思う。
“一般社会”と”マイノリティ”の共生社会。
正直に言ってしまうと私個人は”共生社会”という言葉自体には違和感を感じている。
何故なんだろう。共に生きるという当たり前のことに社会という単語がくっついているからかも知れない。
当たり前であるべきことがテーマになることに違和感を感じてしまうのだ。
当然のことが成立していない現状ありきで、当然のことを目標にするのが不満なのかもしれない。
共生社会は誰かが呼びかけたり、ましてや懇願して成立するモノではないような気がするのだ。
“普通”に成立しているはずのモノのはずだ。
ともあれNPO法人サプライフの初主催でのバディウォークfor All。
色々詰め込んだ宝箱のようなイベントだ。
新型コロナの蔓延でなかなか思うように活動できないなか、バディウォークfor Allを充実させようと全力を尽くす法人スタッフの姿は賞賛に値すると思う。
皆さんfor Allで参加して難しい”普通”を実現させてみませんか?
主催:NPO法人SUPLIFE
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